昭和の時代、日本は復興・成長・熱狂・変革を繰り返しながら世界に存在感を示しました。
11月4日は、そんな昭和史の中でも印象的なできごとが多い日。
この記事では、11月4日の昭和のトピックを3つ紹介します。
⚾ 昭和54年(1979年) 広島東洋カープが悲願の日本一達成
1979年(昭和54年)11月4日、広島東洋カープが球団史上初の日本シリーズ優勝を果たしました。
対戦相手は近鉄バファローズ。第7戦までもつれ込んだ激戦の末、広島が4勝3敗で勝利。球団創設から約30年、ついに“赤ヘル旋風”が日本一の頂点に立ちました。
地方球団が巨人・阪神・中日といった都市型球団を打ち破ったことは、プロ野球界の勢力図を塗り替える出来事でした。
優勝を決めた直後、マツダスタジアム(当時・広島市民球場)には「広島が日本を変えた」という見出しが踊り、街中が歓喜に包まれました。
この日以降、広島東洋カープは“市民とともに歩む球団”として全国に知られる存在となり、昭和の地域密着スポーツ文化を象徴する存在となりました。
🌏 昭和21年(1946年) ユネスコ憲章発効 ― 戦後日本が世界と再びつながる日
1946年(昭和21年)11月4日、ユネスコ(UNESCO:国際連合教育科学文化機関)の憲章が発効しました。
この機関は「教育・科学・文化を通じて世界の平和と相互理解を築く」ことを目的として設立され、戦後の世界秩序を支える柱のひとつとなります。
日本は1951年に加盟。敗戦後の日本が国際社会へ復帰するための大きな一歩となりました。ユネスコの理念「戦争は人の心の中で生まれるものである。ゆえに人の心の中に平和の砦を築かなければならない」は、昭和の教育改革の根底にも息づいています。
戦争からの復興を経て、学校教育・文化交流・世界遺産保護など、ユネスコ活動が日本社会に根づいていったことは、昭和史における“平和と文化の再生”を象徴するできごとといえるでしょう。
👑 昭和55年(1980年) 王貞治が現役引退 ― 昭和スポーツの象徴が去った日
1980年(昭和55年)11月4日、日本プロ野球のスーパースター、王貞治選手(読売ジャイアンツ)が現役引退を発表しました。
通算868本塁打という世界記録を残し、“世界の王”として昭和のスポーツ界に輝き続けた存在でした。
王選手の引退は、単なる一選手の退場ではなく、昭和の高度経済成長期を共に駆け抜けた国民的英雄の“物語の終章”として受け止められました。
長嶋茂雄との「ON砲」は昭和のテレビ文化を通じて国民に夢を与え、家庭の団らんと野球観戦が一体となる時代を築きました。
この日、王選手は会見で「悔いはありません」と語り、多くの国民がその潔さに涙しました。まさに“昭和スポーツの幕が下りた日”といえるでしょう。
令和7年(2025年)11月4日の今日の出来事
- 日本経済新聞社はビジネス対話アプリ「スラック」に外部からの不正アクセスで、1万以上の個人情報が流失した可能性があると発表
- 任天堂は2026年3月期の業績予想を上方修正し、売上高が初めて2兆円超える見通しと発表
- 中日ドラゴンズの根尾昴投手が契約交渉を行い、3年連続の年俸ダウンの1050万円(推定)で契約を更改
- 住宅金融支援機構は、住宅ローン「フラット35」の11月の適用金利を発表。2か月ぶりに上昇。 ※適用金利は各金融機関にお問い合わせ下さい。
🎂 11月4日生まれの有売り揚げ高は
| 名前 | 職業・肩書き | 生年 | 出身国 |
|---|---|---|---|
| ルイス・フィーゴ | サッカー選手 | 1972年 | ポルトガル |
| 浅野ゆう子 | 女優 | 1960年 | 日本 |
| 名倉潤 | お笑い芸人 | 1968年 | 日本 |
| 尾野真千子 | 俳優 | 1981年 | 日本 |
🕯 まとめ ― 昭和の情熱と記憶を振り返る
11月4日は、昭和という時代を象徴するような日です。
地方都市の情熱、戦後日本の平和への歩み、そして国民的スターの引退——どの出来事にも昭和の熱と希望が息づいています。
時代は変わっても、当時の人々が抱いた誇りや感動は今も語り継がれています。

